園主のフォト日記
2019年12月
« 11月    
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031  
信楽焼 支那海鼠(生子)・型押火鉢 13号(約40cm)
明治初期に当時の中国より輸入された支那海鼠釉の火鉢を手に入れ、苦労して信楽の海鼠釉の火鉢をつくり出すことに成功したようです。そして明治末頃に開発された支那海鼠釉が生み出され、その後信楽焼火鉢の全盛を迎えたのです。
信楽焼支那海鼠(生子)・手付き型押火鉢13号(約40cm)
同じく型押火鉢であるが、持ちやすいように手付きが工夫され、雷紋という文様にいれられたデザインとなっています。当時釉薬は各窯元が作られた創意工夫の秘伝であったので、焼き上がった支那海鼠釉火鉢も自ずと発色が違ったようです。
信楽焼梅花文 絵付火鉢 15号(約45cm)
昭和20年代、30年代は信楽焼火鉢の全盛の時代。その頃に作られた火鉢と思われます。信楽焼には元々絵付師がいなかったので、京都から招いたというその昔。時代と共に地元信楽焼で育った絵付師が描かれたであろう多種多様な絵付けは、今日信楽焼陶芸の森に「火鉢ロード」として屋外展示されている。
信楽焼 八角モダン火鉢 16号
この文様とよく似た絵付火鉢が信楽焼陶芸の森 火鉢ロードに屋外展示されている中に見ることができます。同一絵付師の作ではと思われます。おそらくは昭和20年代、30年代に大量に焼かれた時代の作ではと思われます。
信楽焼 火鉢 支那海鼠(生子)唐草文火鉢
焼かれた年代は不明ですが、技術的には古いのではと思われます。文様は大胆な唐草がレリーフとなっており、焼かれた窯元の意匠性に秀れたものがあったのではと思われます。
信楽焼 火鉢 十二角海鼠雷文 火鉢 15号
十二角と面取りになっており、名称も面取りとするのがよいのかもしれません。その当時どのような名前にて流通させていたのかということになります。コバルトの配合が高かったのか美しく、しかも拡張高い作りは完成度が高く、昭和20年代、30年代の作ではと思われます。
信楽焼 火鉢 イッチン山水画火鉢 20号
当初信楽焼には絵付職人がおらず、京都より呼び寄せたのが始まりといわれ、このイッチン技法もその流れから京都の技術が伝わったものと考えられます。
???̃y?[?W??TOP??
Copyright(C)2008 ISHIDA Seikaen All rights reserved.