園主のフォト日記
2019年11月
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たちざや(立匣鉢)つぎざや(継匣鉢)信楽焼窯元散策路の窯場坂散策コースの中で見られるのがたちざや(立匣鉢)で作られた塀です。
たちざや(立匣鉢)つぎざや(継匣鉢)
10月13日 そのたちざや(立匣鉢)の塀のある窯元の前にはそれの解説された案内板があるのです。
立匣鉢・継匣鉢(窯道具)

登り窯で火鉢や植木鉢など、製品を焼成する場合、絵のように積み上げて仕組み(窯詰め)をする。

その土台として下敷台に用いるのが「立匣鉢」である。

その上へ何段も積み重ねるので、相当な重量がかかり、火度の高い「火の前」と言われる列の立匣鉢は、胴がふくらんだり、曲がったり、キレたりする。

「火の前」「火伏」「中並」「奥の前」「奥並」というように一列に並べて窯詰めをする。

一番火度の低い所が「奥並」で、その並びの下脇の部分を「根」と呼ぶ。

焼きが甘い部分は釉薬の火度も弱くする。火度の強い所「火の前」「火伏」等は、釉薬を強くする工夫をした。

一段、二段、三段と積み上げて窯詰めする時に用いるのが「継匣鉢」である。品物の大きさによって、大から小までさまざまな寸法の「継匣鉢」を用いた。平面の穴は手で下げるための穴である。

堀のたちざや(立匣鉢)を見ますと、火鉢を焼かれた年数によって或いは窯の中で置かれた場所によって様々な窯変が見られるのでした。
緋色に焼けているたちざや(立匣鉢)が見られます。通常壺とか茶陶で見られる緋色は一回で焼かれるのですが、このたちざや(立匣鉢)は聞くところによりますと、火鉢を焼くのに少なくとも何十回は焼いたであろうという代物。おそらくは登窯の中で酸化焼成され続けられた場所にあったのではと素人ながら考えるのです。
こちらに見られるたちざや(立匣鉢)は長年の薪の灰が高温によって溶け、ガラス状となって溶け、流れ出している。つまりビードロと言われる焼き物そのものです。
火鉢の歴史は古く、江戸時代より焼かれ、昭和の30年代まで登窯で焼き続かれてきました。この長い歴史の中でこのたちざや(立匣鉢)も何十年という年月の間に何十回、何百回と火を入れられ、火鉢を焼いてきた歴史の跡が見られます。
通常灰釉がビードロ化しましても、透明に近いビードロの焼きものになります。
現在でも穴窯で焼きますとこのたちざや(立匣鉢)の窯変を見ておりますとビードロが何十回、何百回と焼かれる間に飴色から焦みの色に変化していることがよくわかります。
聞くところによりますとこの焦みの色が現在究極の味となりガス窯で焼かれる今日、この色あいを表現することをみなさんめざしておられるとのことでした。
話は余談になりますが生子火鉢を焼かれたのでしょうか。その釉薬が一筋となって流れていることを「胡麻ダレ」と呼ばれているようです。
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